【web読書】『夢見る男子は現実主義者』について語りたい。

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小説家になろう

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webでいろいろ検索すると、2018年末の初投稿以来、既に多くの方が「この作品を好き」と表明されているようなので、にわかの私が語るのも少しおこがましいような気はするのですが。

書籍化を前に、webの片隅にこういう言説をばらまいておくのも悪くはないのではないかと思うので、書きます。

 

 

 

まず最初に、

 

なろう作家の質が云々とか煩わしい昨今なので、まぁこういう感想は出るだろうなというところで、機先を制して言ってしまうと、

 

この作品を簡単に紹介するなら、『俺ガイル』フォロワーです。


もちろんパクリなどとは言いません。
最大の違いは主人公。
好きになった女の子にアタックし続けて二年半、断られても断られても纏わり続けた、ガッツのあるやつです。
そんな彼が、ようやく自分は彼女に不釣り合いだと認識するところから物語がスタートします。


でも別に彼女のことを嫌いになったわけでもなく、恋愛恐怖症になったりもせず、ひねくれたりもしない。
相変わらず崇拝に近い思いは抱いていて、ただ自分の身の丈にあった距離を置こうと。
むしろ距離を置くことで、アイドルだの女神だの、彼の親愛表現はさらにこじれているような(笑)。


ぼっちでもコミュ障でもない、この主人公像は、昨今のラノベ・web小説界隈を考えるとかなり攻めてるなと思います。
と同時に、彼の人柄、性格は、この物語を駆動する強力な動力源でもあって。
スカッと爽快に読み進められる、ひとつの要因になっています。


さて、主人公がヒロインから距離を置こうとしはじめてから、彼と彼女をとりまく人間関係が変化していきます。
その中で起こる大小様々な事件。
主人公はそれに巻き込まれたり、主体的に関わったりして、問題を解決したりしなかったり。
この辺が『俺ガイル』っぽいところですね。


徐々に増えてゆく交友関係。
校内に隠された裏事情。
物語は思わぬ広がりを見せ、ただのラブコメでは済まなくなります。

 

そういう中で、ヒロインの心が揺れ動くさまも、この作品の大きな魅力。


ヒロイン――夏川愛華の心模様は、イチオシの見どころ。
単純に「好き」とか「嫌い」とかすっぱりと割り切れない、非常に複雑な思いを、丁寧に描いています。
思春期特有の苛立ちとか悩み、そういうのもないまぜになって、決してきれいなところばかりじゃない等身大の感情。


既存のテンプレに当てはめてしまうなら、ツンデレなんだろうけど……ツンデレなぁ。
なんか違うわ。
夏川愛華は「夏川愛華」というジャンル。
それが一番正しい。

 

そう思わされるだけの何かがあります。

 

 


文体についても述べておきたい。

 

普段の地の文は、いかにもなろう作品らしい、ノリと勢いだけで書いたような文体です。
テンポがいい、というのは確かにそうかもしれないけど、粗いです。
筋は面白いんだけど、私には読みづらく感じられ、辟易しながら読み進めてました。


それがいい意味で裏切られるのは、中盤、ヒロイン視点で展開されるとき。
地の文ががらっと変わって、叙情的(リリカル)な表現が駆使され、すごく趣のある文体になる。

 

ボクこの文体好き。だいしゅきぃ。

 

その瞬間に、作者さんを見る目が変わりました。


この作者さんは、表現の幅が広いのだと思います。
つまり、力量のある作者さんだということです。

 

展開の仕方についても同様。
伏線の張り方がわりと周到で、この展開はあの時点から用意してたのか、みたいなのがちょろちょろあります。


現時点(136話)で、たぶん起承転結の「転」の半ばくらいじゃないかと私は想像していますが、いきあたりばったりで話を広げるのではなく、このまま進めれば200話くらいでちゃんと完結まで持ち込んでくれるのではないか、という期待を抱いています。


もちろん、まだまだ荒削りなところはあって、そうした部分は編集さんがフォローしてあげてほしいところでもあるのですが。
その将来性も含めて、期待感はすごく高いです。

 

 


最初に『俺ガイル』フォロワーだと言ったな。
あれは嘘だ。

 

いや、嘘というわけでもないんだけど、もっと適切な言葉があります。
「青春群像劇」と言います。
『俺ガイル』以前から、そうした作品は多くありました。


『俺ガイル』は確かにエポックメイキングな作品ではあるのだけど。

 

特に、なろう作品に多く見られる「ぼっち・コミュ障主人公もの」の9割は、あれの影響を受けているといっても過言ではないでしょう。

 

ただ、別にオリジンじゃないのですよね。


この作品――『夢見る男子は現実主義者』は、それらの「青春群像劇」の一群に加えられるべき作品です。
その中にあっても、かなりの良作だと思います。
登場人物も多く、またその一人ひとりが生き生きと描かれ、懐の深い作品になっています。