『デルフィニア戦記』と新書版ファンタジーレーベル

 このゴールデンウィーク中に気づいたのだけど、傑作長編ファンタジー小説デルフィニア戦記』の新書版(最初に刊行された版)が、ついにネット書店ではどこも品切れになってしまった。第1巻が出たのが1993年、正規シリーズとしての完結は1998年と古い作品ではあるけれど、同じ世界を共有する作品は続刊していて、最新巻が4月、5月と立て続けに出たばかりでもある。一抹の寂寥感をおぼえずにはいられない。

 古巣の書店で版元在庫も確認してもらったが、やはり一部の巻は「品切れ重版未定」になってしまっている模様。実は、かつて読んだものがすでに手元になく、のんびり買い直していたさなかだったため、大慌てであちこち手配して確保した。今ならまだ市中(書店)在庫が残っており、頑張れば入手可能ではあるので、もしご興味のある方がいらっしゃったら、今のうちですよと申し上げておく。おそらくもう一年もしたら、本当に在庫は尽きるだろう。

 ちなみに新書版のあとから文庫版が出ており、そちらはまだ普通に流通しているため、もう読めないわけではない。ただ、他でも例のある手法で、文庫化の際にカバーを地味に(一般向けに)変えてしまっており、沖麻実也氏の美麗なイラストは拝めない。あの美麗なイラストは、この作品が戦記物ファンタジーであるにもかかわらず、女性ファンを多く獲得できたことの理由のひとつでもあろうと思われるので、実に残念な限りではある。

  新書版がなくなってしまうのは、もうひとつの意味でも残念なことだ。というのは、この作品は、かつて存在した「大陸ノベルズ」という新書版ファンタジーレーベルの遺産のひとつでもあったからだ。

 80年代末から90年代において、文庫版ファンタジーレーベルが多数花開き、覇を競っているのと同時期に、新書サイズでもファンタジーレーベルが存在していた。それが大陸書房の「大陸ノベルズ」で、文庫版レーベルよりもちょっと高めの年齢層を狙う、深みのある作品が多くあった。例を挙げると、ひかわ玲子『女戦士エフェラ&ジリオラ』、山田ミネコ『裏側の世界』、新田一実『漂泊の剣士ハーコン』などの名作がずらりと並んでいた。『デルフィニア戦記』の前身となる物語も、当レーベル末期にその列に加わる。

 残念ながら諸々の事情あって大陸書房は92年に倒産。ほとんどのシリーズは散逸してしまったが、いくつかは奇跡的に他社から再刊行されている。『デルフィニア戦記』もそのひとつだった。

 93年に中央公論新社の新書版レーベル「C★NOVELS」から新たに立ち上がった分家「C★NOVELS Fantasia」において、創刊タイトルのひとつとして『デルフィニア戦記』は産声をあげる。大陸ノベルズ時代にはさほど目立つ存在ではなかったが、C★NOVELS Fantasiaに移って以降の『デルフィニア戦記』は、前史にあたる部分からリライトしたこと、またペースよく刊行していったこと(編集さん頑張ったよね!)もあり、この新レーベルを支える人気シリーズとなる。

 またレーベル自体も、文庫よりもやや値段が高く、ボリュームが多いという新書サイズの強みは見事に引き継がれ、ちょっと高めの年齢層を狙う、深みのあるファンタジーレーベルとして存在感を放つ。新レーベル独自の新人賞も設け、数々の名作が生まれた。

 率直に言ってこのC★NOVELS Fantasiaと『デルフィニア戦記』のヒットにより、毎日新聞出版「μ NOVEL」、幻冬舎「幻狼FANTASIA NOVELS」など、他社からも新書版ファンタジーレーベルがいくつか後追いで生まれたほどの影響が、当時はあったのだ。

 あいにくC★NOVELS Fantasiaもまた、2016年9月を境として、それ以降は茅田砂胡氏の新作をほそぼそと刊行するだけのレーベルに縮小されてしまっている。11年続いた新人賞も、後半は大賞が出ないことの方が多く、煮詰まってしまっていたのかなと推察される。

 この時期のファンタジー作品としては、上橋菜穂子精霊の守り人』など児童書からの進出が目立った。その前段階として、翻訳ではあるがJ.K.ローリング『ハリーポッター』の極大ヒットがあったことは言うまでもないだろう。児童書のファンタジーは国内作品に限っても古くからあり、たとえば荻原規子氏などは児童書でデビューしたが先述のC★NOVELS Fantasiaにおいても『西の善き魔女』という傑作を発表している。地層的には地続きであると言っていい。

 また、かつてのコバルト文庫の流れを半分だけ引き継ぐ、集英社オレンジ文庫には、少女向けではあるがファンタジーの系譜が息づいている。最近読んだものでは、湖池ことり『リーリエ国騎士団』などは、なかなか良質のファンタジーだった。

 いまやラノベにおいてはなろう系の異世界転生・転移ものがあふれ、新文芸レーベルでその数は拡大していて、そういう中にあっては旧来的なファンタジー作品は「現地もの」とあえて区別されるような存在になっている。

 新書版ファンタジーレーベルが事実上の終焉を迎えたことに、ある種の感慨を抱かずにはいられない。でもきっと、ファンタジーを愛する私たちは、あの土の匂い、風の香りを忘れられずに、さまよいつづけるのだろう。